愛しいみぅへ。
今日は9時頃に起きました。昨夜はお酒を飲まずにいたのですが、もしかしたらそれで朝のうちに起きることができたのかもしれません。起きてからはもちろん、いつものように、食事を摂ってコーヒー
を飲んでウェブのニュースをチェックして……。
ところで、今読んでいる『グレゴリオ聖歌の世界』(リチャード・L.クロッカー著、吉川 文 訳、音楽之友社)という本の中に、キリスト教と音楽との関係についての興味深い一節を発見しました。以下↓に記します。
(礼拝に)参加することと単に聴くこととの間の区別は、機能本位の聖歌と装飾的な聖歌というかなり微妙な区別につながるものである。音楽では建築の場合と同様に、宗教的な要求と美的な要求の間に古来から緊張関係がある。多くのキリスト教徒は音楽に関して当初から神経質だった。それは好き嫌いの問題ではなく、どんなものが礼拝に適切と考えられるかということだった。ある人々にとって、音楽は礼拝のための単なる手段に過ぎなかった。こうした人たちは、音楽を会衆が参加するためにのみ用いる傾向が見られる。他方、礼拝の雰囲気を盛り上げるために、あるいは単にそうしたものを聴きたいがために、音楽に美しさを求める人々もあった。初期のキリスト教において、これは根本的な方向性の相違であり、猛烈な論争を呼んだ。そしてこの問題は今なお続いているのである。
モーツァルトの宗教音楽は、宗教的な要求と美的な要求のいずれをも満たそうとしているように思えてなりません。それはもちろん、モツレクについても同じことで、モーツァルトは自身の最後の作品で、双方を両立させた究極の姿を披露したいと願っていたような気がしてなりません。モツレクにはいろいろな版があることはご承知のことと思いますが、そのよしあしは、宗教的・美的のバランスを考慮して行われるべきなのかもしれません。
ということで、今回のメールは音楽関係の話ばかりになってしまいました。でも、例えばみぅが自分の趣味について、いろいろ詳しく話してくれたら、私は興味を持って聞く自信はありますよ。早く聞きたいとは思っているのですが……。
それにしてもみぅは、どうしているのかなぁ……。
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