こんばんは、みぅ。
今朝はどうしたわけか7時半頃に起きました。これまでの7時半頃はというと、一応目は覚めているのに眠いような気がして、なかなか起きられない状態でした。ところが、今朝の場合は、起きたい気分になったのでした。しかも、午前中に眠くなることもありませんでした。体調が良くなってきたのでしょうか?
ただ、残念なのは、せっかくいつもより早く起きることができたのに、『雌狐…』の続編などの仕事がほとんどはかどらなかったこと。午前中は、朝食後にコーヒーを飲んで、そのあと洗濯をしていたら、あっという間にお昼に……。午後からは、胴腹滝まで水を汲みに行って、その帰りに大物忌神社に寄っておみくじをひいて、光ヶ丘のお家に戻ってきたらコーヒーを飲んで……。それからモツレクを聴いて……。
あっ、おみくじは吉で、福禄寿が入っていました。何かいいことあるかも……。それから、モツレクは、ピリオド奏法のものを聴きました。ピリオド奏法とは、モーツァルトの時代の演奏技術で演奏するということです。演奏方法は時代と共に変わってきているのです。
この演奏を聴きながら思ったのですが、モーツァルトほどの天才は、当時の楽器と演奏技術を考慮して、美しい演奏になるように作曲したのではないかと……。
モツレクは、そもそもモーツァルトの手で完成できなかったために、そのスコアにジュスマイアー版をはじめとするいくつかの版があります。しかし、その版の善し悪しを議論する前に、ピリオド奏法にも目を向けるべきではないかと思いました。いくら天才とはいえ、時代の経過と共に楽器が進化し、演奏技術も変わっていくことまで予見して作曲してはいないはずです。あくまでも、その作曲家が生きた時代の楽器と、演奏技術で演奏することを前提に作曲しているはずなのです。現代の楽器と演奏技術で美しく演奏することも大切なのですが、作曲家が生きた当時の状況も忘れてはならないと言うことです。
あまり仕事にならなかったと言っていた割りには、ちょっと難しい話を書いてしまいました。もし、みぅが理解できなくても悩むことはありません。大丈夫、私がみぅを愛していることは相変わらずですから……。
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