愛するみぅへ。
みぅへのメールにこのようなことを書いても良いものか、正直なところ迷ったのですが、とりあえず入手可能だった50枚ほどのモツレクを一通り聴いて、区切りがよいことと、これまで真面目にモツレクを聴いていたのだということの証明にもなるかと思って、思いきって書くことにします。
さて、その問題のモツレクですが、モーツァルトの残した譜面では、ラクリモサ(涙の日)が中途半端で、書きかけのアーメンフーガがあり、サンクトゥス以降はないというものでした。きちんとできあがっているのはイントロイトゥス(入祭誦)とキリエだけで、他の部分はパート譜が不完全という状態で、オリジナルの未完成版を演奏したCDもあったのですが、まさにそんな状態の譜面に忠実に演奏した音が入っていました。
モーツァルトの死後、作曲依頼の手付け金を受け取っていたのと、その残りのお金を手に入れるために、妻のコンスタンツェが方々手を尽くして、ようやく弟子のジュスマイヤーによって補完されたのが、いわゆるジュスマイヤー版として広く演奏され続けてきたモツレクなのですが、これには少なからず問題があることが古くから指摘され、今でも学者さんの間で議論されているとのことです。
その議論がどのようなものなのか、今の私はまだ知らないので、50種あまりのモツレクを聴いた感想として、私なりに感じた問題点を以下に書き連ねてみます。
まず、モーツァルトが書きかけのアーメンフーガですが、やはりラクリモサの後につけるのが適当、というよりは、そうした方がモーツァルトらしくなると思いました。ただし、現時点でこのアーメンフーガを取り込んでいるモーンダー版ともレヴィン版とも違う形でこのアーメンフーガを入れたいというのが私の考えです。ジュスマイヤー版のラクリモサは最後に長くのばしたアーメンが一つ入っているだけですが、このラクリモサのアーメンの直前部分をほんの少しだけ手直ししてアーメンフーガを付け足した方が、曲調に変化が出て、モーツァルトらしくなるように感じました。
サンクトゥス以降は、もしかしたらジュスマイヤーがモーツァルトの死の直前に口頭で受けた指示に従ったものかもしれません。例えば最後のコンムニオ(聖体拝領誦)は、イントロイトゥス(入祭誦)とキリエの主題を用いて上手くまとめるようにとの指示が出ていたことが想像されます。
『フリーメイソンの葬送音楽 ハ短調 K.477』や『アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618』は、いずれもきれいで静かに終わる曲なのですが、これらの曲のように静かにレクイエムの最後を締めくくるのが、コンムニオ(聖体拝領誦)にふさわしいと私は直感しました。死の間際で、モーツァルトは弟子にあまり詳しい指示を伝えることができなかったのかもしれません。だからこそなおさら、コンムニオ(聖体拝領誦)には、魂が天に召されていく様を聴き手に思い描かせるような、きれいな終わり方を求めたくなりました。ただし、これを実現するには、モーツァルト級の天才に曲の改訂をお願いしなくてはならないでしょう。
というわけで、これまで私が真面目にモツレクを聴いていた、つまりは他の女にうつつを抜かす暇などなかったことが解って頂けたかと思います。
みぅのことは大切に思っています。これまでも、そしてこれからも……。
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