昨日は、良かったのか悪かったのか、例の彼女とは会えませんでした。ただ、みぅと私との関係については、メールで知らせたところ、一応理解したようでした。メールでのやりとりでわかったこととしては、彼女も、私と一緒に住みたい、できることなら結婚したいと思っている一人でした。待ち合わせがうまくいかないのは、おそらく、彼女が私に会いに行こうとすると混乱した状態になってしまうことにあるのだと、私は推測しています。彼女へは、私の自宅の場所についても教えてあるのですが、訪ねてくる気配がありません。どうしたらよいのかわからないので、今は私から彼女へメールを出すこともやめてしまいました。出会い系サイトでのメールのやりとりにはポイントの購入が必要で、メールを見たり出したりするとポイントが減っていくのですが、進展が見込めないものにこれ以上お金を使いたくないのです。
そんなわけで、今日は、いつもの日曜日と同じように、午前中は胴腹の滝に水汲みに行って、午後は買い物に出たりして、今はこうしてみぅへのメールを書いています。メールを書き上げたら、母の誕生日祝いに、両親を私の車に乗せて外食に出かけます。親孝行はできるうちにしておかないと、後悔しそうな気がして……。
そう言えば、昨日のメールの途中から、みぅちゃんではなくみぅと呼ぶことにしたのですが、貴女はどちらが好きですか。例の彼女とのやりとりで気付いたのですが、ちゃん付けよりは、みぅと言った方が、連れあいを呼ぶのにふさわしいような気がしたのです。だからこれからは、みぅでいくことにします。
それにしても、例の彼女は、お酒にも多少の造詣があるみたいで、知性もそれなりにあったし、友達として付き合っていけたら面白そうだったのですが、私という一人の男の魅力に取り付かれてしまって、私から女としてみられたい、女として扱って欲しい、私の一番の女になりたいという思いが強いために、それでは我慢できないのでしょうね。私にはよくわかりませんが、みぅなら、同じ女として、そのような気持を理解できるのではないのですか。
私のこれまでの人生を振り返ってみると、私という一人の男に惹かれていた女性は、少なくとも一人二人といったレベルではなかったように思います。もてるというのとは少し意味合いが違うと私は思っているのですが、女性からみて、どうなのでしょうか。
なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、できることなら、恋愛の大先輩である瀬戸内寂聴さんをお伺いして、私を取り巻く女性のことをご相談したり、恋愛について御教授して頂くことができたら、などと考えてしまいます。
ただ、みぅという一人の女性を選んだということについてきちんと意思表示し続けることは、非常に大切なことなのだと思い知らされています。
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